ペットの【 安楽死 】を考える。その時あなたはどんな選択をしますか?

あなたがもし、自分の目の前にいるペットを見つめながら、その子の「生と死」の選択を迫られたら、どうすると思いますか?

私も考えてみたのですが、想像しながら思いを巡らせた時、ただただ、涙が出るばかりで、そこに答えなど出るものではありませんでした。

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norikoさん
こんにちは。norikoです。最近安楽死を考えるきっかけになった記事を読みました。期日を決めその日の朝の様子を書かれたものだったのですが、胸が押しつぶされそうな辛さを覚えました・・・

 

安楽死の選択に正解などあるのでしょうか?

今回のこの安楽死は、殺処分とは違い本当に苦しむペットを楽に眠らせてあげるための方法です。

飼い主さんがこの方法をやむを得ず選択しなければならない時というのは、ペットの病気の回復が見込めず、手の施しようがなくなり、日々苦しみの中で生きている状態である時。

その子の苦しむ様子に、もう楽にしてあげたいと感じた時に、頭を過り、そこから、命を終わらせる選択をするのか、自然に任せる方を選ぶのか、とても難しい判断をせまられる事になるのだと思います。

本当に難しいと思いますね。

安楽死を決断したとして、それで苦しんでいた子が静かに眠りを迎えたとしても、そこでよかったと思えるものなのかどうか。
命を終わらせてしまった事に、飼い主さんとしては自分を責める日々が始まるのかもしれない。

自然死を決断した時。その子の持っている寿命に任せて、その時まで見守る事を決め、ペットが苦しみに耐える姿に胸を痛めながらも、生かせてあげようと決断した場合。
いつか永遠の眠りについた時に、今度は、あんなに苦しませて本当に良かったのだろうか、もっと早く楽にしてあげればよかったのではないか、自分たちの勝手な思いで、あの子の苦しみを長引かせてしまったのではないか、と、やはり飼い主さんとして、自責の念に駆られるかもしれません。

「正解」など無いのでしょうか・・・

私が父を亡くした時に、担当医の先生から延命治療に対してのお話がありました。(簡単に言えばするのかしないのか)
ガンが末期だったこともあり、また、日ごろから父は延命はしなくていいと言っていたのもあって、その時が訪れた時には延命治療はしなくてもいいという決断をしました。

それでもいざその時になると、迷い、一度は先生に延命措置をお願いしましたが、これ以上は変わらないことも理解し、二度目には止めていただきました。

人間の安楽死は日本では認められていませんが、延命治療をしないという選択は、少なくとも死を早める事に変わりはないように思うのですが。
そこに、安楽死と自然死に分かれるという大きな違いがあるのでしょうね。

人間ならこんな風に、どうしてほしいのかという気持ちを知ることが出来るのですが、ペット達は、それが出来ないから、その命の灯を消す方を選ぶのか、自然に消える事を待つのか、飼い主さんの手に握られているわけですね。

自分が選んだ道が、愛するペットの望む方向だったのか、逆の方向だったのか、こればかりはきっとどちらを選んでも、後悔と懺悔に苦しむことになるのでは・・と思いますが。

 

そして、下した決断に悩み、悔いている姿を、亡くなったペット達が大好きだった一番見たい飼い主さんの姿ではないとも思いますね。

 

そこに正しいとか、間違った選択だなどということは、周りが言う事ではないだろうし、賛否を唱えるべきことでもないように思います。

ただ、命はいつかは果てます。

そして、どんな決断をしても、一度失うと二度と戻らない。

だから、慎重に、考えに考え抜くことが必要になるのでしょうね。

 

 

ペットたちの思いは

こんな話がありました。
病気で治る見込みがなく、獣医さんから安楽死を考えてはと言われ、ご夫婦で、何度も話し合い、安楽死を決断し、その期日の日、病院に連れて行くためにいつも寝ている場所から、抱き上げようとすると、なぜかその子はいつもと違い、抱っこを嫌がったというのです。

時間が迫っていたので、心を鬼にして無理に抱き上げ車に乗せたそうですが、奥さんの腕にしがみついてジッとしていたそうです。

動物は、なにかいつもと違うという事を感じるのですね。

それは、飼い主さんの声のトーンなのか、慌ただしさの雰囲気なのか・・緊張を感じる空気なのか・・

大好きな人たちの変化に、これから自分の身に何かが起きるのだという事ではなくて、「何かがいつもと違う」という感覚に不安を覚えるのかもしれませんね。

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また、このような記事もあります。

動物たちは自分がどんな状況に置かれていても、死にたいとか死のうとは、思わないといいます。

苦しく辛い目に遭っている時に、死にたいとか、また、死んでしまおうと考えるのは、人間だけだというのです。

動物たちは、例え歩けなくても、目が見えなくても、呼吸が苦しくても、食べられなくても、その子たちの思いは、「生きる」方向を向いているというのです。

それは、最後まで大好きな人の側にいることが、幸せであり、嬉しいという事なのかもしれません。

私たちとしては、苦しむ姿を見ている事が辛くて、楽にしてあげたいという思いに駆られ、その子の命をどうするかと考えてしまうかもしれませんが、

また、それがその子の為だと、思いたいし、自分に言い聞かせるのかもしれません。

でも、あの子達は違うのかも・・・

 

最期まで頭をなでてもらったり、かわいいねと声を掛けてもらったり、大好きだよって、抱きしめて貰えたり、少しでもご飯を食べたら、エライねってほめてくれたり、そんな変わらない日常の中にいる事が、幸せで嬉しくて、なにより最期まで大好きな人の側にいられる事。

それが、あの子たちの「生きる」という事なのかもしれません。

そう考えると、私は、例えば家の子が病魔に侵されて苦しみの中にいるとしても、自らその子の命の期限を決める事は、出来ないかもしれないという方向に、向いてきました。

もしも、「ぼくはただ生きていたいだけなんだよ」って、「傍にいたいだけなんだよ」と、そう訴えているその子の気持ちに応えたいと、そう思うかもしれません・・・・・。

あの子のためと、思う事が実は、そうではなく、自分の為になっていてはいけないですよね。
見ている事が辛いというのは、愛情があればこその感情だと思います。

けれど、それも全てひっくるめて、飼い主であり、責任であるのかもしれません。

あの子の痛みも全て受け止める。

それが、変わらないいつもの笑顔で接するための、大きな覚悟なのかもしれませんね。

そして、その変わらない笑顔こそが、あの子があなたの元に来た大きな意味なのかもしれません。

その笑顔を一番喜び、嬉しい気持ちを感じているあの子の、幸せの瞬間なのかもしません。

 

〇もなければ、✖もない、とてもデリケートで飼い主さんにとっても痛みの伴う決断ではありますね。

 

 

まとめ

苦しむ子の姿を見るのはとても辛いです。

飼い主の覚悟として必要なのは、どんな状況になっても最期までその子を自分が看取るんだという決意。

これはとても勇気がいると思いますが、その勇気を持つことが、自分ではなく、愛するペット達に向き合うには大事な事なのではないかと、そう思いました。

そして、動物は「生きる」という方向をみているという事。

逃げも隠れもしない、ただ、どんな時でも、「生きる」ために生きているという事は忘れないでいたいと思います。

人間よりもずっと真っ直ぐで、純粋で清らかな魂の持ち主たちです。

だから、愛されなければいけないし、途中で手放したりしてはいけないのです。

人間が裏切ったり、傷つけたり、不安や辛い思いをさせてはいけないのです。

最期まで一緒に。

最期まであなたの側に。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。