「虹の橋」というのはペットを飼っていらっしゃる方なら、多分みなさんご存知の有名な散文詩ですね。
この詩を知るきっかけになるのは、大抵は愛するワンちゃんやねこちゃんを亡くした時ですね。
あまりの悲しみにまるで導かれるようにこの「虹の橋」に辿り着きます。
そうして、読み始めて涙し読み終えて涙するという、飼い主さんならではの心のやり場のなさが救われるような言葉と、自分の悲しみをこの詩に吸い上げてもらうようなやさしさと、そして「そうだね・・そうだよね・・・」と思えるように道しるべを示してもらえるようなそんな「虹の橋」です。
そうなんです。
虹の橋は主に第1部が広く知られていますが、3部まであるんですね。
第1部 「虹の橋 Rainbow Bridge」
第2部 「虹の橋にて At tha Rainbow Bridge」
第3部 「雨降り地区」
となっています。
作品は1980年∼1992年の間に制作されたのでは?と言われていますがやはり正確には分からないのです。
アメリカからやがて世界中に広がり、日本でも知られるようになりました。
第1部と第2部は作者不詳ですが、第3部は日本の芝山弓子さんという方が書かれています。
今回はその第3部をご紹介したいと思います。
虹の橋 第3部 「雨降り地区」
こんな風に、幸せと愛の奇跡に満ち溢れている虹の橋の入り口に、雨降り地区と呼ばれる場所があります。
そこでは、いつもシトシト冷たい雨が降り、動物たちは寒さに震え悲しみに打ちひしがれています。
そう、ここに降る雨は、残してきてしまった誰かさん、特別な誰かさんの流す涙なのです。
大抵の子は半年もしないうちに、暖かい日差しの中に駆け出して、仲間と戯れ、遊び、楽しく暮らすことができます。
ほんの少しの寂しさと物足りなさを感じながらも・・・。
でも、1年経っても2年経ってもずっと雨降り地区から出て行かない子達もいるのです。
地上に残してきてしまった特別な誰かさんがずっと悲しんでいるので、とてもじゃないけれどみんなと楽しく遊ぶ気になれないのです。
地上に残してきた誰かさんと同じ辛い思いをして、同じ悲しみに凍えているのです。
死は全てを奪い去ってしまうものではありません。
同じ時を過ごし、同じ楽しみを分かち合い、愛し合った記憶は、あなたの心から永遠に消え去ることはないのです。
地上にいる特別な誰かさん達の幸せと、愛に満ちた想い出こそが、虹の橋を創りあげているのです。
ですからどうか、別れの悲しみにだけ囚われないでください。
彼らはあなたをしあわせにするために、神様から使わされたのです。
そして、何よりも大事な事を伝えにやってきたのです。
命の儚さと愛しさを。
つかの間の温もりに感じる慈悲の心の尊さを。
その短い生涯のすべてをもって教えてくれるのです。
癒える事のない悲しみだけを残しにくるのではありません。
思い出してください。
動物たちが残していってくれた、形にも、言葉にもできない様々な宝物を。
それでも悲しくなったら、目を閉じてみてください。
虹の橋にいる彼らの姿が見えるはずです。
信じる心のその中に、必ずあの場所はあるのですから。

作者 芝山弓子さんは本名です。
2005年12月に他界されています。

☞ 「虹の橋」第2部https://noriko-05.com/nijinohashi2/
🐈
虹の橋の第1部は愛するペットを失った飼い主さんの悲しみを思い、ペット達は虹の橋を渡り、暖かく穏やかな場所で伸び伸びと遊んでいますよ。
そしていつの日かあなたが天国へ召された時には、愛するあの子と再び出会えるのです。と書かれています。
かわいいあの子達を失う事は本当に辛いものです。
この詩は少しでも悲しみを癒す手助けとして、考え方・見方を少しだけ変えてみるとねこちゃんやワンちゃんたちは、今、苦しみや痛みから解放され元々の元気な姿で走り回っていますよ。その姿を想像してみてください。と言われているように感じます。
🐈
虹の橋第2部は愛される事を知らずに亡くなってしまった人間と動物が虹の橋のたもとで出会い、同じ思いを持った者同士がやがて共に歩いていく。
地上では出会う事がなかった人間と動物ですが、天国で出会うべくして出会い、生きていく中で受けてきた悲しみや苦しみから解き放たれるという詩になっています。
3部共に最後は悲しみから前を向くという事を教えてくれ、大事なものはここにあるんだよ、というメッセージを感じますね。(^-^)
🐈

まとめ
有名な「虹の橋」について書いてみました。
私もこの詩に出会ったのは、初めて病気でねこを亡くした時でした。
こんなに悲しいものなのかと、初めての気持ちに行く先を見失っていた時です。
なにか、自分を納得させる言葉が欲しくて読み入ってしまいました。
涙がとまりませんでした。
もっと何か出来たはずと、後悔ばかりが頭をもたげていたその時の私には、亡くした子の元気な姿を思い描くなど出来ず、つらそうな最後の姿ばかりが頭の中に、心の中にありました。
でも、この詩を読んで、少しづつ少しづつ、本当に少しづつですが、元気だったころのあの姿を思おう・・と。
泣いてばかりいては、あの子が幸せになれない、ということに気づき、時間が掛かりましたけど、前を向くことが出来るようになりました。
もしも今、同じような思いをされている方がいらっしゃるかもしれない。
いつの日かきっと、この詩がこころに届くことを願っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。